図書館幻想−「ボルヘス」・「諸星大二郎」・「ランガナタン」

ボルヘス」の「バベルの図書館」を再読。ごく短い短編だが、数回読む。

伝奇集 (岩波文庫)

伝奇集 (岩波文庫)

全体的な感想はおいといて、些細なことに疑問がわく。
この作品で、”六角形”が重要なモチーフとなっているようだが、何故六角形なのか?
(以下、抜粋)

(他の者たちは図書館と呼んでいるが)宇宙は、真ん中に大きな換気孔があり、きわめて低い手すりで囲まれた、不定数の、おそらく無限数の六角形の回廊で成り立っている。どの六角形からも、それこそ際限なく、上の階と下の階が眺められる。

図書館は、その厳密な中心が任意の六角形であり、その円周は到達不可能な球体である。

早速六角形に関して一番頼りになると思う本を探したのだが、見つからない。
実家はバベルの図書館どころか、無限図書館(後述)ですらない。せいぜい”猫の図書館”だ。
それでも見つらず、諦める。だが、バベルの図書館の住人たちに諦めという概念はあり得ない。

図書館のすべての人間とおなじように、わたしも若いころよく旅行をした。おそらくカタログ類のカタログにある、一冊の本を求めて遍歴をした。この目が自分の書くものをほとんど判読できなくなったいま、わたしは、自分が生まれた六角形から数リーグ離れたところで、死に支度をととのえつつある。死ねば、手すりからわたしを投げてくれる慈悲ぶかい手にこと欠かないだろう。わたしの墓は測りがたい空間であるにちがいない。わたしの遺体はどこまでも沈んでゆき、無限の落下によって生じた風のなかで朽ち、消えてしまう。断言するが、図書館は無限である。

さて、本が無い以上ネットで検索するとロクなものが無い。”Hexagon”でググっても同様。
ここでハタと気づく。空間なのだから、3次元だと(バカです)。”六角形”や”Hexagon”でヒットする訳がない。
自分の先入観で、こんな部屋だと思いこんでいた。
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

だけど、これSF的イメージで、上下左右に各六角形の部屋に通じていると勝手に思い込んでいた。
(そうあって欲しいとの幼稚な願望からだ!)。

ではこんなのはどうだろうか?(”切隅六面体/The truncated hexahedron”というらしい)。

これも、建築上無理がありそうだし、大体”八角”じゃないか!

もう一度原文を読み直すと全然違う。

一辺につき長い本棚が五段で、計二十段。それらが二辺をのぞいたすべてを埋めている。その高さは各階のそれであり、図書館員の背丈をわずかに超えている。

なるほど四辺が本棚で占められ、残りは二辺で合計六辺、”底面は六角形”だな。
”ある一面が六角形”の多面体をいろいろ想像して遊ぶ(数学好きなんです)。
*1
とうとう四次元レベルまで行き着く。さっぱり理解出来ない。
四次元から、テセラクト、「ダリ」の超立方体的人体(磔刑)までとキリが無い!*2

「各面が立方体で構成された立方体なんて想像できないわ!」
「多次元幾何学を学びなさい。」

結果、遊び疲れて元に戻る。
話題が逸れすぎたので、そろそろ結論を出さねば。
建築については知識ゼロだが、CADのこんなYoutubeを見つけたので参考にする。

やはりバベルの図書館の各部屋は”正六角柱”だと思う。
これに原文の”図書館員の背丈をわずかに超えている”を考慮すると、これが正解に近いのか?
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
*3
既知の通り「ボルヘス」は盲目になった後に、国立図書館長の職に就き、作家活動も続けていった。
その彼と「バベルの図書館」をモデルにした映画が、あの「薔薇の名前」だ。*4
では「薔薇の名前」から”六角形からなる図書館”が微かに検証出来そうなシーンをYoutubeでみてみる。

本当は、この映画の原作「ウンベルト・エーコ」の「薔薇の名前」を読み返せば良いのだが、実はこれも”猫の図書館”を再捜索むなしく行方不明。
どのように六角形の部屋が描かれていたのかはさっぱり記憶にないし・・・。


自分は滅多に図書館には行かない。本はあくまでも購入する(古本屋とかも含めて)。
でも、この記事を書いていると、見つからない本に苛立ち、行ってみようかとも思った。


最後に、「諸星大二郎*5の「栞と紙魚子」という作品を*6
なんとこのシリーズの最新作「栞と紙魚子の百物語」が2008年、第12回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞していたのだ。*7
でも、面白さから云えば、「栞と紙魚子の生首事件」や「栞と紙魚子 殺戮詩集」あたりも更に面白い。
多分”生首”や”殺戮”という言葉がネックになって受賞出来なかったのではないか?*8

[rakuten:book:12517336:detail]
[rakuten:book:12517338:detail]*9
もし「諸星大二郎」の作品を初めて読むならこれかなぁ。
「アダムの肋骨」(自分が最初に読んだもの。古いので見つからず仕方無いので下記を紹介)。

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)

不安の立像 (ジャンプスーパーコミックス)

これ絶対推薦します。興味をもたれたら、こちらが充実しています。諸星大二郎博物館*10
蛇足:TVはみないが、このシリーズがドラマ化されているのをYoutubeで知りました。
(多分削除されると思うが”無限図書館”なるのが出てくるので参考までに)。



P.S.図書館といえば、いまだに分からないのが「ランガナタン*11の分類法。
コロン分類法といってもねぇ?ただ、熱狂的支持者が多いのも事実。
でも、今でもこれだけ研究されているんだからきっと”何かがあるんでしょう”(自分には分かりません)。

コロン分類法は、出版物の並び替えをさらに明確にするための「PMEST]と呼ばれる5つの主要なカテゴリやファセットを用いる。

, パーソナリティー(personality)
; マター(matter or property)
: エネルギー(energy)
. 空間(space)
' 時間(time)

参照:コロン分類法 - Wikipedia

これ、英語のWIKI丸写しだし、他も似たりよったり。ただ、なんか哲学的な雰囲気はする(自分は何も知らない)。
本当に知りたい人がいるなら原典をよむべきだろう(いても、この自分の記事など読まないとは思うが)。
参照までに。↓
DLIST

以上、下書きしてあったのを早朝にUPしたので間違いや見苦しい点はご容赦下さい!

*1:切頂二十面体(せっちょうにじゅうめんたい、truncated icosahedron)。”正六角形”が20枚ある。

*2:ダリに関しては話題が拡がり過ぎるので、ただ一言”実物を見なさい!”画集とかと全然印象が違うから。

*3:底面が正多角形の角柱を正角柱(せいかくちゅう、regular prism)、底面も側面も正多角形(したがって側面は正方形)の正角柱をアルキメデスの正角柱またはアルキメデスの角柱 (Archimedean prism) という。特にアルキメデスの正角柱だけに限って正角柱という場合もある。

*4:薔薇の名前』の図書館のイメージはここからきているとされ、またその登場人物である図書館長ホルヘはボルヘス自身がモデルであるとされる。

*5:ユリイカの3月号は彼の特集です!」

*6:図書館となんの関係があるかは、後述の”無限図書館”絡みからです

*7:大賞なら気付いていたハズ。他に「マエストロ」、「宗像教授異考録」も優秀賞受賞。

*8:別に文部科学省のお墨付きなんていらないけど。

*9:アマゾンに画像無し。仕方なく楽天で。表紙を見て欲しかったので。

*10:諸星大二郎博物館

*11:発音はこれでいいのか?どこにアクセントを?

再び赤い悪夢&気を取り直してここらで一服−「呉智英」

まだ、オウム真理教絡みで、知識人&評論家の態度をネット上でさがして、彷徨う。
感想はただただ、”疲れた!”の一言。
どの評論家も、その他の一般のブログも、非難と論争合戦だ。
無数のオウム事件への分析&位置づけの中で、誰が正しく、誰が間違っているのか?
事件とは乖離した不毛なものばかり。後は、ただ司法の判断まちで終焉してしまうのか?
知識人という方々は、何か一般大衆(自分)にこの事件の意味するところを教えてくれたのか?
”自分たちで考えろ”という態度が、現在の日本の知識人の答えなのか?
反省だけなら誰でも出来るが、それすら時間と共に風化し、事件以前と変わっていない。
イヤ、むしろ悪くなっていると思う。
自分を含め、日本人はいつまでも脳天気なのだろう。
再度、こんな事件が起こっても、また忘れ去るという繰り返しのような気がする。
ここ10日間で得た個人的なことといえば、「浅田彰*1と「中沢新一*2の近況を知ったことぐらいか(こんなことはどうでもいいんだ)。
(二人に関しては、忘れていたので”ああ、今こんなことをやっているのか”程度の感想だったが、そんなことはどうでもいい)。
(別にこの二人じゃなくてもよいが)どうして、アンガージュマンし続ける思想家、宗教家、学者等々が不在なのか?
(そりゃ今でもこの事件への発言&行動している人は多数いるのだろうが、いくら努力しようとも、結果の出ない努力は無駄だ)。
個人的には、こんなテロ行為から何か教訓を学ぶ資質が全く欠落しているのがこの国のような気もする。

前回の記事のYoutubeの続きを削除承知で、残り全部UPして、
オウムの話題は本当に終える*3





♭〜♭〜♭〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜♪〜♪〜♪

で、気分を変えたいので「呉智英」を取り上げる。呉智英 - Wikipedia
彼とは、世代が違うせいもあり、その思想スタイルに納得出来ないことも多い。
ただ、気取らずに、地に足のついたそのスタンスと文体には好感を抱いている。
そんな彼の著作から、”軽いところ”のみを紹介しよう。

言葉の常備薬

言葉の常備薬

彼は、WIKIにもあるが、新聞や雑誌の細かい(が大きい)ミスをねちねちと書く。また、それを彼自身も楽しんでいるようだし、趣味とも感じられる。
以下、幾つか抜粋してみる(他の評論家や先生たちのは疲れるので)

私が思わず噴き出してしまうのは、大川総裁に呼び出された人たちの霊がおかしな言葉を口にすることである。例えば、孔子を呼び出すと、孔子は「わしは孔子じゃ」と言って現れる。孔子が日本語を話すのがおかしいというわけではない。なんせ霊なのだから、古代支那語現代日本語に翻訳するぐらい、別に難しくはなかろう。私がおかしいと思うのは、孔子が自ら「孔子じゃ」と名乗ることである。
孔子の「子」というのは敬称で、普通「先生」と訳す。「孔子」とは「孔先生」という意味である。我々は便宜的に「孔子先生」「孔子様」と言うけれど、孔子が自ら「わしは孔子じゃ」と名乗って出現することはありえない。
現に『論語』の中では、孔子は自ら「丘(きゅう)」と名乗っている。姓が孔、名が丘だからだ。


「言葉の常備薬」”翻訳語の漢字には要注意”より

”軽いところ”を紹介すると書いたが、早速差別語が出てきた。
支那」と言う語。これは現在の中華人民共和国は「支那」と呼ぶべきだという彼のかねてからの持論。

私は、テーマごとに新聞記事の切り抜き帳を作っている。そのうちの一つは、人名に関わるものだ。面白い名前を見つけると、その記事をスクラップ帳に保存している。(中略)
・登山家で、八千メートル級の山の六座を八回も征服した人がいる。日本人では唯一人の記録を持つその人は、山田昇さん(朝日新聞86・1・11)。この名前が人生を決めたのだと思う。
・南極探検の犬ぞり用のカラフト犬、タロとジロを育てたのが犬飼哲夫氏だとは、新聞を読むまで知らなんだ。(朝日89・8・1)。


「言葉の常備薬」”名前の不思議、不思議な名前”より

マンガ表現には、もう一つ、無そのものを表すことができるという特長がある。マンガは絵画の一種であるが、普通の絵画では無を表現できない。もちろん、禅画のように宗教的な表現なら、白紙に墨で大きな円を描き、これが禅の精神「無」じゃ、と言うこともできるけれど、具体的・写実的に無を描くことはできない。
・机の上にりんごがある。
これはどんな凡庸な絵描きでも表現できる。しかし、
・机の上にりんごがない。
これはたとえ大天才ダ・ヴィンチでも表現できない。りんごがないというのなら、何も載っていないただの机になってしまう。
マンガだと、どんな凡庸なマンガ家でもこれができる。二コマものにして、一コマ目に机とりんご、二コマ目に机だけ、としてもよい。一コマものにして、机の上に点線でりんごを描き周囲に煙状の線をあしらって消えたことを表してもよい。正確に言えば、これは「無」ではなく「不存在」か「消失」であるが、普通の絵画にはできない芸当である。


「言葉の常備薬」”存在と無”より

歴史の流れの中に遠のきつつある「二十世紀」も、「にじゅっせいき」ではなく、「にじっせいき」である。NHKのアナウンサーは、多くは「にじっせいき」と読んでいるけれど、「にじゅっせいき」と読む人もかなりいる。梨の「二十世紀」は、(中略)現在でも鳥取産が名高い。その二十世紀梨を出荷する段ボール箱に、Nijisseikiとローマ字で正しく印刷されているのを見た時には、農協侮るべからずと感動を覚えた。


「言葉の常備薬」”六から十まで”より

ここまでは、単純に抜粋しただけだが、「差別・人権・宗教」等に触れた過激な文章を避けるのに結構苦労した。

四月四日の朝日新聞朝刊にこうある。
「女性が自転車の女に追いかけられたと110番通報があった。女が女性に向かって『じろじろ見るな』などと怒鳴ったため、女性は近所の家に逃げ込んだという」
加害者も被害者も名前が出ていないのはいいとして、それぞれが「女」「女性」と使い分けられている。「女」も「女性」も意味するところは同じなのに、「女」は悪玉、「女性」は善玉であって、入れ替えはできない。


「言葉の常備薬」”生々しい言葉、よそよそしい言葉”より

呉智英は、こうした重箱の隅を突くor上げ足取りばかりしているわけではない。
むしろ、マスコミには掲載拒否されることを、あえて堂々と書くスタンスこそ彼の立派なところなのだ。
それは、下記の本(オウム事件を含む)で如実に確認できる。

危険な思想家 (双葉文庫)

危険な思想家 (双葉文庫)

最後に面白い?のを。ここで彼は学術用語・専門用語の邦訳について述べている。
その主旨を要約すると「邦訳された用語についてはまず辞書を引け」というもの。
これって”当然じゃないか!”と思われるかもしれないが・・・。

2003年6月4日の朝日新聞夕刊の文化面で、美術評論家高階秀爾*4が興味深いことを書いている。「後期印象派」という言葉は誤訳だというのだ。
後期印象派に属するのは、ゴッホゴーギャンセザンヌなどだが、「これらの画家たちは印象派とは違う別の世界を目指し」「自己の内面世界を表出しようと努めた」。そのため、「印象派の後」という意味でpost-impressionismと名付けられたが、これが「後期印象派」と誤訳されてしまった。
(略)
辞書を引くのは大切だが、誤訳が定着しているのは困ったものだ。


「言葉の常備薬」”考える前に引け”より

たしかに、「後期印象派」と題した文献は後を絶たない。
また、「後期ロマン派」も死語ではない(WIKIではめずらしく新ロマン主義となっているが)。
じゃぁ「新古典派」は?「未来派」は?


P.S.最後に芸術運動のことを書いた本意は、正直いうと別のところにある。
「絵画と音楽」のこと、とりわけシェーンベルクが何故「表現主義(expressionism)」的な絵画を盛んに描いたのか?を記事にしたかったのだ。↓
*5

出会い―書簡・写真・絵画・記録

出会い―書簡・写真・絵画・記録

カンディンスキー」との関わりで。数年間描き続けたあとピッタリと絵画制作を止めたのはなぜか? ↓
*6

*1:ブログ(3回だけど)やってたんだ!

*2:愛知万博に参加してたんだ!

*3:個人体験を含めて、もう死ぬまで書かない

*4:日本美術史学会のドン。和洋美術の全ての分野をカヴァーも、自分は疑っている。現在浅田彰と同じ京都造形大学にいるらしい。

*5:代表作の「赤いまなざし」

*6:右上の黒いのがピアノでまわりに聴衆がいる

ONE MORE RED NIGHTMARE−忘却(オウム真理教&ELP)

3連休から数日経ったが、地下鉄サリン事件の事で何も書く気がせず、メディアであの悪夢がどう扱われるかをチェックしていた。
新聞も読んだが、扱いは小さい。
私事は書かないようにしているが(前記事で思いっきり書いているけど)、どうしても忘れられない。
(自分は取り締まる側でした)。
有機リン化合物、早朝マラソン、申請書類受理etc。
あの事件の色々な些事を思い出しては、牛のように反芻を繰り返してばかりだった。
かなり呻吟したが、書けない。こんな無関係な本も読んだ(岩波文庫版で読んでいたが再読)。

聖なるもの

聖なるもの


実は「松本サリン事件」の時、自分も新聞等のメディアを信じた(化学職の先輩も"どうやって×××化合物をムニャムニャしたのか"と言いながら信じていたようだった)

河野義行さんのその後の態度は、到底自分には真似出来ない。
http://www2k.biglobe.ne.jp/~ndskohno/

動画にも幾つかあるが省略。ただ、あの被害者の被害者たる奥さんを介護していたTV映像は忘れられない。

自分は「オウム事件」に拘り過ぎているのかもしれないなぁ。



《話題転換》
野球で、韓国対ベネズエラ戦があったが、ベネズエラといって即思い出すのは「グスターボ・ドゥダメル」そして同じ南米の「アルベルト・ヒナステラ*1。参照:Alberto Ginastera - Wikipedia
でも、実は両者とも好きではない。が、「ドゥダメル」のでましなのを。

マーラー:交響曲第5番

マーラー:交響曲第5番

Youtubeは彼の母国での若者への音楽普及の熱心さが見て取れるのでベートーベン・マーラーetcよりこんなのをあえて紹介。

ヒナステラ」のYoutubeは適当に選んでみた。
*2

作品としては、ちょっと趣味じゃない(瀬田敦子さん怒らないでネ、あなたは素晴らしいです)。
参照:Atsuko Seta 瀬田敦子 Official Website


そこで、”目隠し”で自分のCD棚から一枚選んでみた。*3
何が出てきたかというと、「フランク/交響曲 ニ短調」のシャルル・デュトワ指揮。

フランク:交響曲/ダンディ:フランス山人の歌による交響曲

フランク:交響曲/ダンディ:フランス山人の歌による交響曲

フランクは素晴らしい!!!
フランクについては専門家&ファンが多数書いているので、自分が彼の音楽については述べること無駄だが、
フランス人作曲家でBEST5に入ると思う

でも、デュトワは最近忘れていたなぁ、今何をやっているんだろう?別に知りたいとも思わないけど(ファンの方ごめんなさい)。
どうしても、デュトワというと”フランス作品”のカラフルなイメージが先入観としてある(多分持っているCDは他に3〜4枚だと思う)。


さて、先に少し書いた昔の自分のバカ記事群にはロックの文章が全くない。
ここまでの文章はまるで内容が無いし、クラシックのYoutubeもちょっと・・・。
どうも不満気味なので、もう一度CD棚から、今度はロックから”目隠し”で、選ぶ。*4
(ちなみに、自分のCD棚はロックとクラシックに区分してあるだけで、作曲家とかアーティスト順には整理していません)。
目を開けると、今度は「ELP」のファースト・アルバム。

エマーソン、レイク&パーマー(K2HD/紙ジャケット仕様)

エマーソン、レイク&パーマー(K2HD/紙ジャケット仕様)

少し驚く。実は「ELP」の”トッカータ”という曲は先述した「ヒナステラ」が原曲なのだ。*5


ELP」なんて知らない人も多いと思うので、一応WIKI(不本意ながら日本の)を紹介。エマーソン・レイク・アンド・パーマー - Wikipedia
ELP」は、今でも熱狂的ファンがいる(が、イーノはELPの解散を”本当にめでたい!”と発言した。彼が「ELP」を嫌った理由は分かる)。

では、再度Youtubeを紹介(選ぶのにえらく時間がかかった、再生回数が凄いのでビビる)。
肝心の”トッカータ”全曲はみつからずも、上記の「ヒナステラ」のYoutubeとほぼ同じです。

この曲は、明らかに「バルトーク」の引用箇所がある。
もう一丁!*6

さらにもう一丁!!!

こういうパフォーマンスをした「キース・エマーソン」は実は自分の鍵盤楽器のテクニックが十分に理解されず、不満をもっていたはずだ。
一応断っておきますが、彼のピアノ技術は、そんじょそこらの”クラシック”のピアニストとは比べものにならない水準です。
ELP」も凄かった!


タイトルに「忘却」と書いたので、この本(好きな小説です)もオマケに紹介して終わる。*7

最後の人;期待 忘却

最後の人;期待 忘却

*1:ブエノスアイレス出身

*2:これが後述の「ELP」の”トッカータ”の改訂版

*3:この方法気に入ったので今後もやろう!目を閉じて手探りで無作為にCDを棚から取り出すという方法

*4:以下ロックについての文章を書こうと思ったのはYoutubeの”Prog Rock Britannia (3/3) An Observation in Three Movements:title”をみたのが動機。長いのでYoutubeは省略

*5:この件の詳細は上記「ヒナステラ」のWIKIにある。

*6:今後ELPについて書くつもりは全くないので

*7:未読の人には是非オススメ

無駄に過ごした日曜日のこと−ジョン・バロウマン・サイモン・アムステル・ディック・フランシスetc

朝、新聞を読む。TV番組ページ欄をチェックする。相変わらず観たい番組ゼロを確認。本を読む。といっても再読から。気にかかる事があるので『Mind パフォーマンス Hacks』を再読&解決。

Mind パフォーマンス Hacks ―脳と心のユーザーマニュアル

Mind パフォーマンス Hacks ―脳と心のユーザーマニュアル

コーヒーを飲む。コーヒーを入れながら”コピ・ルアク”を一度でも飲んでみたいと妄想。『最高の人生の見つけ方』原題: The Bucket List)』で、この”コピ・ルアク”の秘密でモーガン・フリーマンは死ぬ前に大笑いするという夢をクリアしていたなぁと思い出す。

『メタマジック・ゲーム』を再々(以上ですが)読む。ジェンダーのことをここに書こうと下書きする。が問題が大きすぎて途中挫折。下記におまけのクイズを引用してみる。

野球場へ向かう途中、父と子の乗ったクルマが線路にはまってエンストしてしまった。遠くで列車の警笛が鳴る。父は気も狂わんばかりにしてエンジンをかけようとしたが(略)とうとうこのクルマは、突進してきた列車にはねられてしまった。救急車が現場に急行し、彼らを病院に運んだ。しかし、父は途中で息絶えた。息子はまだ生きていたが、危篤状態にあり、緊急手術が必要だった。息子は病院に着くやいなや、手術室に運びこまれた。場数を踏んだ外科医が、準備を終えて入ってきた。しかし、少年の顔を見るやいなや真っ青になり、「手術は無理です、これは私の息子です・・・・・・」とつぶやいた。

『メタマジック・ゲーム』より

メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル

メタマジック・ゲーム―科学と芸術のジグソーパズル

Youtubeをみる。
捜したのは「ジョン・バロウマン」。ジョン・バロウマン - Wikipedia John Barrowman The Official Site

ここから、ズルズルとYoutubeを数時間みる。
いままでなら、ここで彼のYoutubeを紹介するところだが、いつ削除されるかわからない。(ワーナーの音楽関連のYoutube削除は酷いもんだ)。
でも一応ひとつ紹介。(いまならまだPART3までみること可能、オススメ)。

彼がゲイだから(しかもハンサム*1&実年齢より若い)いくつもみて(Dr.Whoまで)、『Never Mind The Buzzcocks*2という番組が気に入る。
日本でも似たような番組は多数あるのだろうが、当然ながらイギリスの番組なので英語は聴き取れません。(固有名詞など特に、そしてPOPミュージッシャン情報etc)。

ここで、司会者の「Simon Amstell」もゲイなのか?と気にかかる。

普段”誰それもゲイじゃないか?”という考えを嫌うと繰り返してきたが、内心はやはり気になる。
(彼を知りたい人はSimon Amstell - Wikipediaあたりから調べて下さい)。

さて、上記のYoutubeで聴き取れない箇所は無数にあるが、”これじゃ英国にいなきゃわからないな”と思った箇所が少し下記でわかったので(長いが引用。John Barrowman on Never Mind The Buzzcocks part 2&3も含んでますので、しつこいですが、Part3までみてネ)。

[About Sugababes]
Bill: Ungodly? Is there anything specific about that?
Simon: I think it was just a lot of wiggling of vaginas...that sort of thing.
Barrowman: Hold on, hold on...does a vagina wiggle?! Not that I've never seen one but; so please inform me.
Simon: Well, I'm not an expert...
Phill: There's nothing like the T.V comedy stylings of two homosexuals discussing fannies, is there?

                                                                                                                                                              • -

Simon: [About Liberty X 'X'] People won't remember this, as people barely remember Liberty X...

                                                                                                                                                              • -

Simon: You look like you haven't aged in 15 years.
Barrowman: That's what the TARDIS does to you.
Simon: ...You sure it isn't the botox?

                                                                                                                                                              • -

[Discussing strategies to stay young]
Bill: The marrowbone from goats, that's good as well, isn't it.
Simon: Have you...
Barrowman: Have I sucked marrowbone from a goat? No.
Phill: But I bet you could.

                                                                                                                                                              • -

Simon: Poverty should have been history by now, lazy Cotton!

                                                                                                                                                              • -

[Kelli feels Barrowman's arse]
Phill: You realize the Daily Mail's going to be in uproar about that bit of the show. "Black lady touches homosexual on television!"
Barrowman: "With white man in the middle!"

                                                                                                                                                              • -

Simon: You cheated there, Bill Bailey!
Barrowman: I didn't cheat!
Simon: Not you, Barrowman!
Barrowman: Right.
Simon: Always about you, isn't it? "I'll be on Maria! I'll be in Torchwood, I'll be on any bloody show that'll have me! Even Buzzcocks". I saw you on Loose Women.
Barrowman: Yeah.
Simon: They're awful, aren't they?

                                                                                                                                                              • -

Simon: You cheated!
Bill: Yeah, I cheated. And what of it? You ain't the boss of me. I ain't never gonna be your bitch!
Barrowman: Talk to the hand 'cause the wrist is pissed.
Simon: You've out-gayed me, Barrowman!
Barrowman: [Exaggerated accent] Let's have a gay-off! Ready? Lips pursed, hands on the table, and go!
Simon: ...I haven't even told my mum yet.

                                                                                                                                                              • -

Simon: Kurt Cobain is now the top earning dead celebrity. So not Bruce Forsyth. If you're watching that on a repeat...and he is dead...that is inaccurate.

                                                                                                                                                              • -

[Trying to guess an answer with John Barrowman raising his hand]
Robin: I don't even think you are gay, Barrowman! I think. I've seen all this pretending that "Oh, don't worry girls, I'm just gay, now I'm going to kiss you and fondle my stuff," it's disgusting! The oldest trick in the book! What would Barrowman know? Oh, Lulu! It's Lulu then!

                                                                                                                                                              • -

Simon: Robin, John will not be able to help you with this one because tonight he's playing the part of a stereotype.

                                                                                                                                                              • -

Simon: We've had a gay man guessing Kylie, a black lady guessing Bob Marley. We are doing nothing to subvert expectations!

                                                                                                                                                              • -

Simon: [About a gorilla coat] I should say that that coat is not made out of gorilla.
Bill: Is it not?
Simon: It's made out of Desert Orchid.

                                                                                                                                                              • -

Simon: Were you ever in the Sugababes?
Kelli: I wasn't in the Sugababes, no.
Simon: My sister's going to be in the Sugababes for her gap year.

                                                                                                                                                              • -

Simon: Gays...come here...take our men...

                                                                                                                                                              • -

Barrowman: [Singing] Oh, high on a hill with a great big dildo! [Yodelling]

Never Mind the Buzzcocks - Wikiquoteより

リンクページには、幾つも幾つも知らない単語がある(青色の箇所は元ページからリンク説明有り)。

で、このページをみなければ知らずに一生を終えた?かもしれないのが「デザート・オーキッド(Desert Orchid)」。”蘭の一種”と素通りしたハズ。
だが実は、これ英国版「オグリキャップ」だったのだ。
競馬はスポーツとして、或る程度知っているが*3、日本では障害レースは全然人気がないし、JRAもオマケ程度にしか扱っていないから当然なのかな?(参照:デザートオーキッド - Wikipedia


この映像をみて「ディック・フランシス」が再読したくなり、「Whip Hand(邦題:利腕 )」 のペーパーバックを読む。(今では貴重な”競馬英語辞典”を買っておいて良かった!)

利腕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12‐18))

利腕 (ハヤカワ・ミステリ文庫 (HM 12‐18))

”天は二物を与えず”の格言を完全に覆したのが「ディック・フランシス」だ!!!
ミステリ作家として最高だろう。(競馬が嫌いな人も絶対感心する!)

特に「シッド・ハレー」を主人公とした作品は(ディック・フランシスは同じ主人公を据える人ではないが、このシッド・ハレーは彼自身も気に入っていたのだろう、4度主人公に)。
余談
1956年のグランドナショナル(イギリス障害競馬の大レース)で彼の騎乗した「デヴォンロック(Devon Loch)号」は、後続に大差をつけたゴールの約50m手前で突然馬が座り込んでしまった。
これは有名なエピソードで、そのYoutubeを紹介。


そうこうしているうちに、日が暮れる。またYoutubeをみながら、そういえば、「ジョン・ライドン」はどうしているのか?と気になり色々Webをみる。

あぁ今の「ジョン・ライドン」は惨めだなぁと感じる(ファンの方怒らないで)。「Buzzcocks*4もそうだが、とにかくまず太ったというのが第一印象。
でも、人の悪口はやめよう。

ここら辺まで(夜9時)だが、自分は何も食べていない。コーヒーを相当飲んでいるし、外出もしていないから食事の必要はない。

後は風呂に入り、またネットをダラダラ散策して、オライリーとAmazoneに本を注文して終わった。

無駄な一日だった。

今日の収穫といえば、「Simon Amstell」を知ったくらいだ。

*1:彼はいつも笑顔で白い歯をみせているのを”唇の組織が不足”という嫉妬?コメントがあった。

*2:[The title plays on the names of the Sex Pistols' Never Mind the Bollocks album, and the band Buzzcocks.:title]

*3:自分が知る限り最強馬はルドルフより「ディープインパクト」で間違いない!

*4:リーダーのPete Shelleyはバイセクシュアルです。

石川淳の「佳人」の紹介

小説を書くことなどとても出来ないと痛感させられたのは、石川淳のデビュー作『佳人』を読んでから。
下記にその作品の”冒頭”を引用する。

わたしは……ある老女のことから書きはじめるつもりでゐたのだが、いざとなると老女の姿が前面に浮んで来る代りに、わたしはわたしはと、ペンの尖が堰の口ででもあるかのやうにわたしといふ溜り水が際限もなくあふれ出さうな気がするのは一応わたしが自分のことではちきれさうになつてゐるからだと思はれもするけれど、じつは第一行から意志の押しがきかないほどおよそ意志などのない混乱におちいつてゐる証拠かも知れないし、あるひは単に事物を正確にあらはさうとする努力をよくしえないほど懶惰なのだといふことかも知れない。

当時36歳の作品。
東京外国語大学仏文科トップで出た後、旧制高校の教師となるも共産主義(当時で云うアカ)の学生運動連座して、辞職。
以降”何をしていたのかわからない空白の十余年”を経て書いたのが上記の引用部分。

参照:石川淳 - Wikipedia
(このWIKIには、自分の手持ちの本と経歴に多少のズレがあるが、これは石川淳自身が自分の事を語りたがらなかった態度に起因する)。

わたしはいつかスティグマティゼエション(聖痕示現)のことを考えていた。アッシジの聖フランチェスコがイエスを念ずる心深きに依り掌に十字架の聖痕、主のおん手に打たれた釘痕がまざまざと顕れたというあのはなしである。わが身をがらんどうと思いこむ一念は今や信仰となったのであるが、それを手軽に阿呆の沙汰とかたづける利口面こそおよそ歯がゆくてならなかったもので、わたしがこの鰯の頭の信心に凝りかたまったというよりもそれはどうにも退引ならぬ神格を現じ、わたしは神懸かりのままに引廻される巫女にほかならず、しかも《埴ヲ挺シテ以テ器ヲ為ル其ノ無ニ当ッテ器ノ用アリ》と老子に説かれているような物の用をなすところの無、例えば地の裂け目、木の割れ目、空洞・・・・・空洞こそここにわが念ずる神の姿となって顕れ、かくて、わたしにあっての聖痕示現はまさしく現身のわたしというものが空に画いたうつろの枠の中にそっくり嵌りこむことでしかなかった。―それはつまり死について考えていることだと覚るのにもしばしの合間があったほど死の観念はそのとき非常にゆっくりとわたしに忍び寄って来て、そしてそれが来たときにはもうわたしがおどろくはずはなく、むしろ夢みごこちなるようななごやかさであった。

「言語にとって美とはなにか」で、吉本隆明は、引用したような石川淳の文体を「饒舌なおしゃべり」と評している。
(元々吉本隆明などには、影響を受けていない。というか読んだこともほとんどないし、興味もなかったし、今振り返るとそれが正解だったろう)。


<余談>
石川淳には「焼跡のイエス」、「処女懐胎」とキリスト教と関連のある作品があるが、その辺を論じた文章はお目にかかったことがない。
ただ随筆に「ラゲエ神父」というのがある。この神父と元同僚のジョリィ師を介して、出会った事情の内容。
ラゲエ神父というのは明治初期の仏和辞典の編者であったらしい。

わたしの知る限り、ラゲエ師ほど正確な、上品な、そして豊麗な日本語をはなした外国人はゐない。覺えこんだだけの日本語を達者にしゃべり散らすといふふうではなく、師はうつくしい聲でゆっくり撰ばれた語彙を歌った。
決してクリスチャンではないわたしがうつかりフランスの小説のはなしなどをすると、師は空耳をつかつて聞かざるがごとく、数珠を爪くりながら天の一方を仰いでゐた。その代わり天草の旧い殉教者のことに談が及ぶと、師は瞼にいっぱい涙をたたへて、「トレ、フィデエル、トレ、フィデエル」(信仰深き、はなはだ信仰深き)と繰りかへしてためいきをついた。

ラゲエ師が長崎にかへる前の晩、わたしは教会の食卓によばれた。わたしは信者ではなかったが、ジョリィ師の年少の友人として、教会にはよく出入りしてゐた。
食事がすむと、茶で、これは番茶の中に葡萄酒と砂糖を入れた独特の飲料であつた。旅に立つときの別酒のことを、フランス語でクウ・ド・レトリエ(鎧の一打)といふ。ラゲエ師は葡萄酒のにほひがする番茶を嘗めながら、日本語で、「わらぢ茶でございますね。」といった。わらぢ茶とは元来飛騨地方の方言だそうであるが、それがわたしのきいたラゲエ師の最後の言葉であった。

<余談終わり>

さて、この小説の驚きは、最後の部分で、突如著者が顔を出すメタな展開部分。

ここでわたしのペンはちょっと停止する。もしわたしがこの叙述を小説に掏りかえようとする野心をもっているとしたらば、別にできない相談ではあるまい。この筋書に色をつける程度のことはわたしの細工でもどうやら間に合いそうに思うし、そのための材料なら骨身にこたえるほどうんと背負いこんでいる。だが、すでにこの叙述を書き出してしまった以上、小説のほうはさしあたり書けそうもない。それが書けるくらいならば冒頭にちょっとにおわせておいた老女の物語がとっくに出来上がっているはずである。ではこの叙述を書くらいが精いっぱいのところなのかと冷笑する人がいるとしたならば、わたしはこう答えよう。わたしが何を書くにしてもまずこれを書いておかなければならなかったので、樽の中の酒を酌み出すためには栓を抜くことからはじめるようなものだと。ところで、わたしの樽のなかには此世の醜悪に満ちた毒々しいはなしがだぶだぶしているのだが、もしへたな自然主義の小説まがいに人生の醜悪の上に薄い紙を敷いて、それを絵筆でなぞって、あとは涼しい顔の昼寝でもしていようというだけならば、わたしはいっそペンなど叩き折って市井の無頼に伍してどぶろくでも飲むほうがましであろう。わたしの努力はこの醜悪を奇異にまで高めることだ

そう、これは彼が小説を書くに当たっての宣言だったのだ。

引用が長すぎたが、幾つか付け足しを。

  • この自分の記述(ほとんど引用だけど)で、旧仮名遣いが混じっているのは、手元のテキストの違いと手抜きのせいです。
  • 彼の小説の、後期作品は読む価値ありません(荒魂など)。

以上、現代日本の小説をほとんど読まないので、昔の人を題材に書きました。

普賢・佳人 (講談社文芸文庫)

普賢・佳人 (講談社文芸文庫)

P.S.彼が逝去したのは、自分の東京の猫マンションの徒歩3分の病院でした。

『稲垣足穂』の私的小説−『一千一秒物語』のDarkSide

私小説は、好かない。が、ここでは『稲垣足穂』を少し紹介しよう。
ネットをちらほらみていたら、『稲垣足穂』を知らない人も多いという文章を目にした。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0879.html

小説を紹介するには、原文を引用するに勝る手段が思いつかないので、以下引用を。

巷で折にふれて見かける跛の人、傴僂、また顔面に痣のある人などが、何故か近頃、以前に見たところとは異なって、たいそう縁起の良い存在としてわが眼に映じる一事に、わたしは気が付きました。この次第はへんに受取れるのでしばしば考えていましたが、一年も経つうちに、次のような結論に達しました。
それは、―とわたしは最初に考えたのです。それら、いわゆる片輪の人々にあっては、普通人が自らの対象として日夜齷齪しているような、一切のくだらない題目が断念されている。少なくとも断念してよい資格が与えられている。その為に、それら諸対象への煩わしさから、幾分なりと解放されている点から、かの人々の平安は来るのであろう。ところでこのことは、更に次のように訂正されねばなりませんでした。人間そのものに備わっている欠点が最も具体的なものとして其処に、正直に、表されているからである―この事実に対する同感なのだと。いったんこう解釈してみると、痛々しげに繃帯を巻いている人は、そのことによって他の者の罪に対する贖いをしているわけであるから、これを見る時には、何か潔められた気持ちに打たれるのであるし、齢七十以上の人々は、ともかく彼らが人間であったことが其処に証されているから、その故に、「まぁよく辛抱してきましたね、御苦労さまでした」と、挨拶を送りたくなるのでした。


『白昼見』より

概ね深酒した場合であるが、遣り過ぎたなと自覚した途端、忽ち眼に見えぬ者にグッと胸倉を掴まれて、引摺り廻されるのだった。寝て居られぬ。起きてもおられない。何か手摺のようなものに取縋るよりはほかはない、と云えるならばそのようなものでもあろう。適当な言葉がないのだ。こんな時間は三十分は続かない。それ以上に亘ったら気が狂ってしまうであろう。こんな折は天使が呼び求められるべきである。けれども、悪魔とは人間自身の発明品だと思いなして来たから、アクマに対抗する至福の霊の実在と威力など、どうして思い当たろうか。然し、彼にも、悪魔というものが世には本当に在った、とまでは判った。こんな矢先に絵入り公教要理を貸してくれた人があった。従来なら最初の数頁で止めたに相違ない本を、読み続けて行ったが、彼は計らずも悪霊そのものの身元を知ることになった。名はルシフェル、神の傑作と云うべき明星のように輝いた美しい天使であったが、只一つ傲慢心の為に、忽ち最も怖ろしい醜い形の者となり、永劫に赦されぬ罪に置かれてしまった。

『世界の巌』より

彼は一事深刻なアルコール中毒であった。”天体嗜好症”と自ら自負してやまなかった彼の、これは自己告白だ。

と云うのは、真理を追究していない唯一人だって無いであろうからでした。それはともかく、わたしだけについて云うならば、更に数年たってからのことでしたが、いったい死んだなら楽であろうなどと考えるというのが、そもそも生きていない証拠だと考えるようになったのは、事実です。―ところでその初め、吸殻を求めて下を向いて歩いている時、ふと見つけた鼠の死体が、わたしに向かって頻りに何かを囁いていました。そんな折りわたしは、自動車に轢かれてぺちゃんこになり、ねずみ形に切抜いたボール紙のようにからからになった奴や、まだ生々しくて印肉と餅とをつき雑ぜたような塊に対して、何かしら祝福を送りたくなり、同時に先方がわたしへの其日のマスコットになることを約束してくれるように、受取られるのでした。
―殺された鼠は、「見えるものではない!」「見えるものではない!」とわたしに向かって警告していたのです。「この様が無漸であるとはお前が只目に見えるものだけに捉われているからだ。もっと他の所に注目せよ」と彼らは云っていたのです。

『白昼見』より

「昭和文学にさいたもっとも微妙な花」と言わしめ、三島由紀夫の強力な推薦もあって、1968年、『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞を受賞した彼。

その一報を聞いて本人はこう云ったという。
「僕はちっともうれしくない」、「もう遅い、手遅れだ。恢復不能だ」と。
さて、現在も出版されており、根強い人気を誇っていると自分は思うのだが・・・。
最後に彼も引用しているセリフを書いて、記事???を終える。
『地球という遊星のことも希にはおもいだしてやろう』。

稲垣足穂全集〈7〉弥勒

稲垣足穂全集〈7〉弥勒

P.S.著者の『少年愛の美学』は、理解しづらく、また、自分の範疇?でもないので言及しません。

エイズとは何だったのか?−『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

エイズの発祥の地域がアフリカだということは、一応専門家の間でも一致しているらしい。
もし、この病が”対岸の火事”であったなら、この病気をめぐる様々な言説は生まれなかったろう。

そしてエイズは、疫病を説明する古典的なスクリプトをなぞるがごとくに、「暗黒大陸」に発し、ついでハイチに、合衆国に、ヨーロッパに波及し・・・ということになる。それは熱帯性の病気とされてしまった。何と言っても世界の大半の人々の暮らすいわゆる第三世界から来たもうひとつの害悪であり、悲しき熱帯からの天罰であると。アフリカの人々が、エイズのアフリカ起源云々の議論に紋切型の人種差別的な見方を探りあてるのは、間違いではない。(アフリカをエイズの揺籃と書くのは、ヨーロッパやアジアにおける反アフリカの偏見を育てるだけだと考えるのも、間違いではない)。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

病気とそのメタファーを、明晰に語るこの本では、癌や梅毒を例証に”病とそれに纏わる余計な言及”を、冷静に、切除していく。

私の書いてみたいのは、病者の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。実際の地誌ではなくて、そこに住む人々の性格分類についてである。肉体の病気そのものではなくて、言葉のあやとか隠喩(メタファ)として使われた病気の方が話の中心である。私の言いたいのは、病気とは隠喩などではなく、従って病気に対象するには―最も健康に病気になるには―隠喩絡みの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが、最も正しい方法であるということだが、それにしても、病者の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのは殆ど不可能に近い。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

この書物は本来、二つに分けられるべきかもしれない。(当初は”エイズとその隠喩”の部分の加筆はなかった)。
そして、彼女自身癌に罹り、入院治療し、その病を克服した。その後に、エイズは蔓延し始めた。

癌イコール悪とする隠喩的表現がむやみに多いため、多くの人々が癌になるのを恥ずべきこと、隠すべきこと、不当なこと、肉体による裏切りと受け止めてきた。
(中略)
それがエイズになると、恥ずかしさと罪の意識がひとつになる。エイズにかかればたいていが、かかった経緯に覚えがある(と思っている)。
それどころかまだ大半の場合において、ある「危険なグループ」の除け者集団のメンバーであることをまさしく証明するものとされる。隣人にも、仕事仲間や家族や友人にも隠しておきたかった実像を、この病気は一挙に明らかにしてしまう。それは実像を浮彫りにし、合衆国で最初に多くの犠牲者を出した危険なグループ、つまり同性愛の男の中に一つのコミュニティを創り出すとともに、病気になった者を分離し、いやがらせや弾圧にさらす経緯ともなった。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

セックスによるこの病気の伝染は、たいていの人が自業自得とみなしていて、他のルートによる場合よりも、厳しい言われ方をする。―とくにエイズが過剰なセックスの病気というにとどまらず、倒錯ゆえの病気と理解されているからである。(断るまでもないだろうが、私は合衆国のことを念頭においている。この国では、目下、異性間のセックスによる伝染は希で、まずあり得ないと言われている―まるでアフリカなど存在しないかのように)。セックスが主要な伝達経路となる伝染病は、どうしても性的に活発な人々をよけいに危険にさらすことになるし、またその活動の罰と見られやすい。このことは梅毒にもあてはまったが、ただたんにでたらめな性ではなくて、自然に背くとされる特定の性の「あり方」がより危険と言われるエイズでは、よけいにそうである。ある種の性のあり方によってこの病気になるのはわがままで、だから余計に非難に値する、と。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

さまざまな病とその治療を指す隠喩はすべてかんばしくない。歪みをもつというのではない。私がぜひとも退却してほしいと思うのは―エイズの出現以来、とくにそう思うのは―軍事的な隠喩である。
(中略)
・・・病気と健康とについて考えるにあたって軍事的イメージのもつ効果は、決してばかにはならない。それは病気の人を排除し、烙印を押すにあたって、過剰動員をかけ、過剰描写をし、しかも強力に貢献するのである。
そう、戦争にしても「全面的」になるのは望ましくない。エイズの創り出した危機にしても、「全面的」な何かではない。われわれは侵略を受けつつあるわけではない。肉体は戦場ではない。病人は必ず死ぬわけでも、敵でもない。われわれには―つまり医学にも、社会にも―何らかの手段で逆襲する資格などない・・・。もっともこの隠喩にしても、この軍事的隠喩にしても、私は、ルクレチウスの言葉を借りて、こう言いたい、そんなものは戦争屋に返してしまおう、と。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

この本の出版年は1989年と、かなりエイズ勃発と時間をおかれずに書かれた。
そのせいで、引用箇所の記述に”ズレ”を感じる方もいるだろうが、それは全て引用者の自分の責任だ。

現在では、”エイズ=同性愛者の病”という図式は、かなり変わっている。(米国でもそうだろう)。
だが、”病=悪”という見方は、変化していない。それは撲滅すべき敵という位置づけだ。
ただ、純粋に病理としての病に、あまたの隠喩(エイズにあっては差別的な)が蔓延しているだろう。

ある日本のエイズ患者は(逝去したが)、ボランティアに対してこういっていた。
『私には、あなた方にこうしてもらう資格などないんです』と。
これも、スーザン・ソンタグ氏の述べたエイズの隠喩の、日本でのホンの一例だろう。

隠喩としての病い・エイズとその隠喩

隠喩としての病い・エイズとその隠喩

P.S.スーザン・ソンタグ氏は、バイセクシュアルであった。
だが、この本ではそれはさして重要とも思えないので、特に触れなかった。

In an interview in The Guardian in 2000, Sontag was quite open about her bisexuality:[15]

"Shall I tell you about getting older?", she says, and she is laughing. "When you get older, 45 plus, men stop fancying you. Or put it another way, the men I fancy don't fancy me. I want a young man. I love beauty. So what's new?" She says she has been in love seven times in her life, which seems quite a lot. "No, hang on," she says. "Actually, it's nine. Five women, four men."

Susan Sontag - Wikipediaより