『稲垣足穂』の私的小説−『一千一秒物語』のDarkSide

私小説は、好かない。が、ここでは『稲垣足穂』を少し紹介しよう。
ネットをちらほらみていたら、『稲垣足穂』を知らない人も多いという文章を目にした。
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0879.html

小説を紹介するには、原文を引用するに勝る手段が思いつかないので、以下引用を。

巷で折にふれて見かける跛の人、傴僂、また顔面に痣のある人などが、何故か近頃、以前に見たところとは異なって、たいそう縁起の良い存在としてわが眼に映じる一事に、わたしは気が付きました。この次第はへんに受取れるのでしばしば考えていましたが、一年も経つうちに、次のような結論に達しました。
それは、―とわたしは最初に考えたのです。それら、いわゆる片輪の人々にあっては、普通人が自らの対象として日夜齷齪しているような、一切のくだらない題目が断念されている。少なくとも断念してよい資格が与えられている。その為に、それら諸対象への煩わしさから、幾分なりと解放されている点から、かの人々の平安は来るのであろう。ところでこのことは、更に次のように訂正されねばなりませんでした。人間そのものに備わっている欠点が最も具体的なものとして其処に、正直に、表されているからである―この事実に対する同感なのだと。いったんこう解釈してみると、痛々しげに繃帯を巻いている人は、そのことによって他の者の罪に対する贖いをしているわけであるから、これを見る時には、何か潔められた気持ちに打たれるのであるし、齢七十以上の人々は、ともかく彼らが人間であったことが其処に証されているから、その故に、「まぁよく辛抱してきましたね、御苦労さまでした」と、挨拶を送りたくなるのでした。


『白昼見』より

概ね深酒した場合であるが、遣り過ぎたなと自覚した途端、忽ち眼に見えぬ者にグッと胸倉を掴まれて、引摺り廻されるのだった。寝て居られぬ。起きてもおられない。何か手摺のようなものに取縋るよりはほかはない、と云えるならばそのようなものでもあろう。適当な言葉がないのだ。こんな時間は三十分は続かない。それ以上に亘ったら気が狂ってしまうであろう。こんな折は天使が呼び求められるべきである。けれども、悪魔とは人間自身の発明品だと思いなして来たから、アクマに対抗する至福の霊の実在と威力など、どうして思い当たろうか。然し、彼にも、悪魔というものが世には本当に在った、とまでは判った。こんな矢先に絵入り公教要理を貸してくれた人があった。従来なら最初の数頁で止めたに相違ない本を、読み続けて行ったが、彼は計らずも悪霊そのものの身元を知ることになった。名はルシフェル、神の傑作と云うべき明星のように輝いた美しい天使であったが、只一つ傲慢心の為に、忽ち最も怖ろしい醜い形の者となり、永劫に赦されぬ罪に置かれてしまった。

『世界の巌』より

彼は一事深刻なアルコール中毒であった。”天体嗜好症”と自ら自負してやまなかった彼の、これは自己告白だ。

と云うのは、真理を追究していない唯一人だって無いであろうからでした。それはともかく、わたしだけについて云うならば、更に数年たってからのことでしたが、いったい死んだなら楽であろうなどと考えるというのが、そもそも生きていない証拠だと考えるようになったのは、事実です。―ところでその初め、吸殻を求めて下を向いて歩いている時、ふと見つけた鼠の死体が、わたしに向かって頻りに何かを囁いていました。そんな折りわたしは、自動車に轢かれてぺちゃんこになり、ねずみ形に切抜いたボール紙のようにからからになった奴や、まだ生々しくて印肉と餅とをつき雑ぜたような塊に対して、何かしら祝福を送りたくなり、同時に先方がわたしへの其日のマスコットになることを約束してくれるように、受取られるのでした。
―殺された鼠は、「見えるものではない!」「見えるものではない!」とわたしに向かって警告していたのです。「この様が無漸であるとはお前が只目に見えるものだけに捉われているからだ。もっと他の所に注目せよ」と彼らは云っていたのです。

『白昼見』より

「昭和文学にさいたもっとも微妙な花」と言わしめ、三島由紀夫の強力な推薦もあって、1968年、『少年愛の美学』で第1回日本文学大賞を受賞した彼。

その一報を聞いて本人はこう云ったという。
「僕はちっともうれしくない」、「もう遅い、手遅れだ。恢復不能だ」と。
さて、現在も出版されており、根強い人気を誇っていると自分は思うのだが・・・。
最後に彼も引用しているセリフを書いて、記事???を終える。
『地球という遊星のことも希にはおもいだしてやろう』。

稲垣足穂全集〈7〉弥勒

稲垣足穂全集〈7〉弥勒

P.S.著者の『少年愛の美学』は、理解しづらく、また、自分の範疇?でもないので言及しません。