エイズとは何だったのか?−『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

エイズの発祥の地域がアフリカだということは、一応専門家の間でも一致しているらしい。
もし、この病が”対岸の火事”であったなら、この病気をめぐる様々な言説は生まれなかったろう。

そしてエイズは、疫病を説明する古典的なスクリプトをなぞるがごとくに、「暗黒大陸」に発し、ついでハイチに、合衆国に、ヨーロッパに波及し・・・ということになる。それは熱帯性の病気とされてしまった。何と言っても世界の大半の人々の暮らすいわゆる第三世界から来たもうひとつの害悪であり、悲しき熱帯からの天罰であると。アフリカの人々が、エイズのアフリカ起源云々の議論に紋切型の人種差別的な見方を探りあてるのは、間違いではない。(アフリカをエイズの揺籃と書くのは、ヨーロッパやアジアにおける反アフリカの偏見を育てるだけだと考えるのも、間違いではない)。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

病気とそのメタファーを、明晰に語るこの本では、癌や梅毒を例証に”病とそれに纏わる余計な言及”を、冷静に、切除していく。

私の書いてみたいのは、病者の王国に移住するとはどういうことかという体験談ではなく、人間がそれに耐えようとして織りなす空想についてである。実際の地誌ではなくて、そこに住む人々の性格分類についてである。肉体の病気そのものではなくて、言葉のあやとか隠喩(メタファ)として使われた病気の方が話の中心である。私の言いたいのは、病気とは隠喩などではなく、従って病気に対象するには―最も健康に病気になるには―隠喩絡みの病気観を一掃すること、なるたけそれに抵抗することが、最も正しい方法であるということだが、それにしても、病者の王国の住民となりながら、そこの風景と化しているけばけばしい隠喩に毒されずにすますのは殆ど不可能に近い。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

この書物は本来、二つに分けられるべきかもしれない。(当初は”エイズとその隠喩”の部分の加筆はなかった)。
そして、彼女自身癌に罹り、入院治療し、その病を克服した。その後に、エイズは蔓延し始めた。

癌イコール悪とする隠喩的表現がむやみに多いため、多くの人々が癌になるのを恥ずべきこと、隠すべきこと、不当なこと、肉体による裏切りと受け止めてきた。
(中略)
それがエイズになると、恥ずかしさと罪の意識がひとつになる。エイズにかかればたいていが、かかった経緯に覚えがある(と思っている)。
それどころかまだ大半の場合において、ある「危険なグループ」の除け者集団のメンバーであることをまさしく証明するものとされる。隣人にも、仕事仲間や家族や友人にも隠しておきたかった実像を、この病気は一挙に明らかにしてしまう。それは実像を浮彫りにし、合衆国で最初に多くの犠牲者を出した危険なグループ、つまり同性愛の男の中に一つのコミュニティを創り出すとともに、病気になった者を分離し、いやがらせや弾圧にさらす経緯ともなった。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

セックスによるこの病気の伝染は、たいていの人が自業自得とみなしていて、他のルートによる場合よりも、厳しい言われ方をする。―とくにエイズが過剰なセックスの病気というにとどまらず、倒錯ゆえの病気と理解されているからである。(断るまでもないだろうが、私は合衆国のことを念頭においている。この国では、目下、異性間のセックスによる伝染は希で、まずあり得ないと言われている―まるでアフリカなど存在しないかのように)。セックスが主要な伝達経路となる伝染病は、どうしても性的に活発な人々をよけいに危険にさらすことになるし、またその活動の罰と見られやすい。このことは梅毒にもあてはまったが、ただたんにでたらめな性ではなくて、自然に背くとされる特定の性の「あり方」がより危険と言われるエイズでは、よけいにそうである。ある種の性のあり方によってこの病気になるのはわがままで、だから余計に非難に値する、と。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

さまざまな病とその治療を指す隠喩はすべてかんばしくない。歪みをもつというのではない。私がぜひとも退却してほしいと思うのは―エイズの出現以来、とくにそう思うのは―軍事的な隠喩である。
(中略)
・・・病気と健康とについて考えるにあたって軍事的イメージのもつ効果は、決してばかにはならない。それは病気の人を排除し、烙印を押すにあたって、過剰動員をかけ、過剰描写をし、しかも強力に貢献するのである。
そう、戦争にしても「全面的」になるのは望ましくない。エイズの創り出した危機にしても、「全面的」な何かではない。われわれは侵略を受けつつあるわけではない。肉体は戦場ではない。病人は必ず死ぬわけでも、敵でもない。われわれには―つまり医学にも、社会にも―何らかの手段で逆襲する資格などない・・・。もっともこの隠喩にしても、この軍事的隠喩にしても、私は、ルクレチウスの言葉を借りて、こう言いたい、そんなものは戦争屋に返してしまおう、と。

スーザン・ソンタグ 『隠喩としての病 エイズとその隠喩』

この本の出版年は1989年と、かなりエイズ勃発と時間をおかれずに書かれた。
そのせいで、引用箇所の記述に”ズレ”を感じる方もいるだろうが、それは全て引用者の自分の責任だ。

現在では、”エイズ=同性愛者の病”という図式は、かなり変わっている。(米国でもそうだろう)。
だが、”病=悪”という見方は、変化していない。それは撲滅すべき敵という位置づけだ。
ただ、純粋に病理としての病に、あまたの隠喩(エイズにあっては差別的な)が蔓延しているだろう。

ある日本のエイズ患者は(逝去したが)、ボランティアに対してこういっていた。
『私には、あなた方にこうしてもらう資格などないんです』と。
これも、スーザン・ソンタグ氏の述べたエイズの隠喩の、日本でのホンの一例だろう。

隠喩としての病い・エイズとその隠喩

隠喩としての病い・エイズとその隠喩

P.S.スーザン・ソンタグ氏は、バイセクシュアルであった。
だが、この本ではそれはさして重要とも思えないので、特に触れなかった。

In an interview in The Guardian in 2000, Sontag was quite open about her bisexuality:[15]

"Shall I tell you about getting older?", she says, and she is laughing. "When you get older, 45 plus, men stop fancying you. Or put it another way, the men I fancy don't fancy me. I want a young man. I love beauty. So what's new?" She says she has been in love seven times in her life, which seems quite a lot. "No, hang on," she says. "Actually, it's nine. Five women, four men."

Susan Sontag - Wikipediaより