『モダン・ネイチャー』−デレク・ジャーマンの日記を読んで

これは、「デレク・ジャーマン」の日記だが、タイトルの意味が最後の訳者後書きを読むまで分からなかった。
最初から最後まで、余りに庭の植物への記述が多いので、それで「ネイチャー」なのかと誤解していた。

「モダンネイチャー」というタイトルについては本書のなかでも触れているが、ジャーマンはある主義の発言―ホモセクシュアリティは容赦できぬものであり、ただ教会のみによって許される―に言及して、同性愛が自然の理に反すると断言する体制への返答として、日記のタイトルを「モダン・ネイチャー」にしたのだと語っている。


訳者あとがきより

この日記全編を通読して、まず感じるのが彼の”植物への愛情”。
目次にも「もし、運命が違っていたらアマチュア園芸家ではなくプロの庭師になっていたろう」とある。

そしてこの日記の主題ともいえるのが「エイズに冒された自分の体調の記録」。

エイズウィルスの感染者であることが公表されて、私の精神的な混乱は極限に達した。もはや私は、何が自分にとっての焦点か、観客の心がどこにあるのか分からずにいる。私に対する反応が変わった。
(中略)
とにかく私に選択の余地はなかった。私は隠し事が嫌いだ。それは徐々に身体を蝕む潰瘍のようなものだから、白日の下にさらしてカタをつけてしまった方がいい。

「モダン・ネイチャー」61pより抜粋

小鳥たち、天候、そして庭の植物へ言及しながら、次第に彼の症状は進行していく。
それでもなお、彼は日記を書き続けた。
ダンテ、ハックスリー、パシュラール等を読んでいたことも知った。

こんな記述もある。

アンディが私の世代にどんな影響を残したか、私には定かではない。アンガーの映画の方が影響が強かった。彼のファクトリーより先にアンソニー・ボルチの撮ったバロウズの映画があった。ウォーホルを発見したのは60年代の後半だった。
私はファクトリーを避けていたけれども、そのアイデアのいくつかには共感した。むろん、当時ニューヨークにいた若いゲイのアーティストにとっては、共感せずにいることはできない相談だった。ウォーホルが実際に私の作品に与えた影響よりも、もっと大きな影響を受けたと私は思っていた。
(中略)
私が影響を受けたのはアンガー、バロウズギンズバーグラウシェンバーグだ。アンディは宮廷の道化師だった。

「モダン・ネイチャー」252pより抜粋

日記には、彼の知人の訃報が、さりげなく幾度も書かれている。

後半部分は、入退院の繰り返しと、その病状への言及が多くなる。

自分がいかに縮んでしまったかにびっくりしている。小さな老人になってしまったわけではないが、風呂に入ったときなど、骨がほうろうの風呂桶にぐりぐりして、嫌な感じでこすれる。今ではひげを剃るのも、見知らぬ土地を横切るのに似て、戻ったり角を曲がったりするたびに混乱する。

『モダン・ネイチャー』462pより抜粋

視力が半分に落ちる。日曜版が読めなかった。私は混乱に陥った。そのことを忘れては、読もうとして本を手にする。HBに電話したら、彼はロンドンの仕事をほっぽり出して私の介抱に来てくれた。彼の到着後の大いなる安堵感、もうパニックはない。

『モダン・ネイチャー』542pより抜粋

ここの引用で登場するHBとは、彼の恋人(というより良き伴侶)だ。

さてこれ以上、日記を引用しても、埒があかない。
(日記は自分で読むに限る!)

最後に、個人的な感想を一言述べるなら、『デレク・ジャーマン』は、ゲイとして生き、ゲイとして死んだ。
そして、希有な才能と繊細過ぎる感性の持主だったということだ。

Youtubeを一つだけ紹介しておこう。


興味を持った人や『デレク・ジャーマン』に関心のある人には、実際に手にとって欲しい。

モダン・ネイチャー―デレク・ジャーマンの日記

モダン・ネイチャー―デレク・ジャーマンの日記