エミリー・ディキンソンについての小さなメモ−死人を起こすな!

エミリー・ディキンソンに、特別な思い入れは無い。
ただ、気にかかる事があったので取り上げてみたい。

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

対訳 ディキンソン詩集―アメリカ詩人選〈3〉 (岩波文庫)

(例によって、”詩人の記事”は詩を引用するに限る)。

わたしは苦悶の表情が好き

わたしは苦悶の表情が好き、
真実なのだと分かるから──
人は痙攣の真似などもしない、
劇痛を、装ったりもしない──

いったん眼がかすんできたら―それはもう死です──
見せかけることなどできはしない
質朴な苦渋をつらねた
額の汗のじゅず玉を。

彼女の詩にはダッシュが多用されているが、訳者はこれを”あらゆる句読点の代用であり、一種の息づかいをあらわすもの”と評している。

金色に燃え上がり紫に沈む

金色に燃え上がり紫に沈み
豹のように空に跳び
それから昔ながらの地平線の足もとに
斑点のついた顔を横たえて死に備え
かわうその家の窓まで低く身をかがめ
屋根に手をのばし納屋を色に染め
牧場に向けて帽子で投げキスをし
一日の魔術師は行ってしまった

ディキンソンの詩には、”死”をモチーフにした作品が、初期から多数ある。
大学時代に、非常に活発だった彼女は、あることを契機に故郷のアマーストの実家に帰り、
そこで、一生を過ごした。

わたしは葬式を感じた、頭の中に

わたしは葬式を感じた、頭の中に、
そして会葬者があちこちと
踏み歩き―踏み歩き―とうとう
感覚が破れていくように思えた──

そしてみんなが席につくと、
お祈りが、太鼓のように──
響き―響き続けて―とうとう
わたしの精神は麻痺していくような気がした──

それから彼らが棺を持ち上げ
またもや、あの「鉛の靴」*1をはいて
わたしの魂をきしみながら横切るのをが聞こえた、
そして天空が―鳴りはじめた、

まるで空全体が一つの鏡になり、
この世の存在が、一つの耳になったかのように、
そしてわたしと、沈黙は、よそ者の種族となって
そこで、孤立して、打ちくだかれた──

それから理性の板が、割れてしまい、
わたしは落ちた、下へ、下へと──
そして落ちるごとに、別の世界にぶつかり、
そして―それから―知ることを止めた──

この辺りで、彼女の一生を知っておいた方が理解の一助となると思い、紹介。

アマーストに蟄居して、発表されるあてもない詩を書き続けた彼女。
だが、その内面は”死”といった暗いものばかりではなかっただろう。

蜘蛛は銀の玉をかかえる

蜘蛛*2は銀の玉をかかえる
目に見えぬ手に──
そしてひとり軽やかに踊り出しながら
真珠の糸を―くり出す──

彼は無から無へと往復する──
稼ぎにならぬ商売に従事して──
わたしたちの壁掛けを自分のに取りかえる──
あっという間に──

一時間で壮麗に築き上げる
彼の光の大陸を──
と思うと主婦の箒からぶら下がる──
自分の国境を―忘れて──

このような自然観察詩も、彼女の得意とするところであった。
そこには、茶目っ気と諧謔の詩心が溢れている。

彼女の代表作を一つ。

わたしは「美」のために死んだ──が

わたしは「美」のために死んだ──が
墓に落ちつく間もなく
「真」のために死んだ人が、横たえられた
隣の部屋に

彼はそっと疑問をもらした、「どうして失敗したんだろう?」
「「美」のためよ」とわたしが答えた──
「いやぼくは―「真」のため―けれどこの二つは一つ──
兄弟だよ、ぼくたちは」と彼はいった──

それで、ある晩会った、親類として──
わたしたちは部屋ごしに話し合った──
やがて苔が唇にせまり──
おおいつくすまで―わたしたちの名を──

自分が気に入った作品も。

手負いの鹿は―もっとも高く跳び上がる──

手負いの鹿は―もっとも高く跳び上がる──
猟師がそう語るのを聞いたことがある──
それはまさに死の法悦──
それから草むらは静まり返る!

水がほとばしるのは打ち砕かれた岩!
はね返るのは踏みつけられた鋼
頬はいつもきわ立って紅い
消耗熱のくらいつくところが!

歓楽は苦悩の鎧──
これを着て苦悩は用心深く武装する、
誰かが血をみつけて
「傷ついてるわ」などと叫ばないように!

確かに彼女の私生活は、孤独なものだったろう。特に晩年は。
それでも、彼女は詩作に耽った、あたかもそれが彼女の存在証明のように。

そんなエミリー・ディキンソンは、そっと一人で読むに限る、が。

この文章を偶々目にして、呆れ果てたのがこの記事を書いた動機。
その文章を紹介しておく。

エミリー・ディキンソンをこのリストに加えるのは全くの見当違いだという意見もあるかもしれない。だが謎めいた部分があることはたしかだろう。少なくとも、ディキンソンは女性たちと深く親密な交際をしていたし、信仰の面でも常人ばなれしていた。そして婚姻というものに抵抗する女性のまさに典型であった。(中略)そればかりでなくこういった生き方は特にレズビアンたちの共感を集めるのだ。レズビアンあるいはフェミニストの視点でディキンソンの人生や作品を読み解こうというすぐれた論文が最近多く見られるのは、その証拠である。過去百年間、学者たちはエミリー・ディキンソンが異性愛者だったことを証明しようとしてことごとく失敗してきたのだが、今後の百年間ではレズビアンだったことがみごとに証明されるにちがいない。



『ゲイ文化の主役たち』p147より抜粋

ジェンダースタディーズってこんな低レベルなのか?
この本、一応影響力のあったゲイ100人を順位づけし、紹介しているが冒頭にはこうある。

このリストに名前の出ている人のうち何人かを見て、驚く人もいるかもしれない。しかしゲイであることをこの本で「すっぱ抜き/アウティング」したという例はない。いずれも記録に残っている歴史的事実である。



『ゲイ文化の主役たち』p19より抜粋

もう馬鹿馬鹿しくて、こんな研究をしている学者?なんか要らない、いや障害になる!

「死人を起こす」*3ような真似はよせ!

墓の中で、こんな事をやっているとエミリー・ディキンソンが知ったら、どう思うか?

その答えを生前の彼女の詩から引用して終わる。

わたしは誰でもない人!あなたは誰?

わたしは誰でもない人!あなたは誰?
あなたも―誰でもない人?
(略)
まっぴらね―誰かである―なんてこと!
ひと騒がせね―蛙のように──

P.S.今回は全面的に亀井俊介氏のテキストを勝手に引用させていただきお詫びをします。
せっかくの対訳本なので、原語も同時に紹介すべきだったと思います(特に彼女の大文字の使用面等で)。

*1:Boot of Lead、棺をもったり、棺に付き添ったりする人々の靴。

*2:人々の嫌う蜘蛛を芸術家に喩えている。

*3:ディクスン・カーの作品タイトルを借りました。