パラジャーノフの素晴らしさー魔術的な色彩感覚

パラジャーノフといえば『火の馬』、『火の馬』と言えばパラジャーノフ。それが一般的な評価。その彼の作品が何故か日本でデジタル・リマスター版で続々と出て、その中の『サヤト・ノヴァ(邦題:ざくろの色)』*1という作品に出会い衝撃を受けた。

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彼の情報は少ない。決して恵まれていたとはいえない極貧の幼少時代を経て、ゲイの容疑で投獄されて迫害を受けた後の人生も体調不良で志半ばで逝ってしまった。

モスクワの全ロシア映画大学監督科で、アレクサンドル・ドヴジェンコやイーゴリ・サフチェンコ、ミハイル・ロンムなどの名匠の元で映画製作を学ぶ。この時期に悪ふざけにふけっていたトビリシの学生らとともに逮捕され、同性愛の嫌疑をかけられる。

卒業後、いくつかの共同監督作品を経て、1964年に『火の馬』で長編映画デビューを果たす。この作品は世界中の映画祭でその独自のスタイルと色彩が賞賛されるが、国内ではまったくの不評に終わる。続く1968年にアルメニアにて同名の詩人の生涯に着想を得た『サヤト・ノヴァ』を監督。しかし、ウクライナ映画行政局は、既存の映画文法から逸脱した自由奔放な表現を、反ソ連的な危険思想に基づくものと見なし、激しく糾弾。それ以降、彼の書いた10本の映画の企画をすべて却下してしまう。

1974年には、なんの前触れもなく不当な罪状で5年間の懲役判決を受け投獄される。しかし国際的な映画祭を通じてすでにその名声が高まっていたパラジャーノフを救うために、フェデリコ・フェリーニロベルト・ロッセリーニルキノ・ヴィスコンティフランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダールといったヨーロッパ中の映画人が抗議運動を展開。その成果もあって、1977年12月に釈放される。しかしその後もソ連当局からの危険人物扱いはやまず、重ねて2回の投獄に合い過酷な労働を課せられ苦痛を味わう。

ミハイル・ゴルバチョフ書記長就任後は出国を許され、自由に映画制作ができるようになり、『スラム砦の伝説』『アシク・ケリブ』の2本を立て続けに製作。その相変わらずの独自性で全世界から熱狂的な歓迎と賞賛をうけるが、体調は完全には元に戻らず、その後に製作開始された自伝的作品と言われる『告白』の準備途中に、エレヴァンにて肺炎で死去。

あとには生涯に監督した4本の長編映画と、映画化されることのなかった多数の脚本、また無数の絵画やコラージュ作品が残された。
セルゲイ・パラジャーノフ - Wikipedia

『火の馬』より『サヤト・ノヴァ』が彼の代表作ではないか?そう思い短いながらこの記事を書いてみた。

何という不思議な美しさだろう。この美しさは”中性的な美”というか、”官能的な表出”というか”魔術的な色彩感”というか、それら等々の要素を、ごく自然な形式で民族的にミックスしシャッフルしたとでも言おうか?

いや、自分の貧祖な語彙&文章能力では言い尽くせない。一度魅了されたら、絶対虜になる。グルジア出身の影響とかの背景は当然あるのだろうが、決定的に誰の影響を受けたという風にも思えず、「天性の才能」としか言いようが無い。パラジャーノフに関しては、これだけ不思議に日本でDVDが出ているのに、とにかく資料が少なくWikiの情報と蓮實重彦の解説+Youtubeからしか分からない状態。取り敢えずこの動画だけは観て欲しい。上記で紹介した『サヤト・ノヴァ』の動画はここからの抜粋。


P.S.パラジャーノフの詳細は色々動画にあります。彼ヴァイオリンの素養もあったんですね。

*1:散逸した「サヤト・ノヴァ」のフィルムからセルゲイ・ユトケーヴィチ監督が再編集したもの。