『HELLSING』完結!−吸血鬼について私が知っている二、三の事柄

次に、傷口を舐めながら血を飲む。そして永遠が続く限り続くにちがいないこの時間ずっと子供は泣く。今言ったようにして抜き取った、まだ、ほかほかと温かい子供の血ほどうまいものはないぞ。塩のように苦い彼の涙を別にすれば。人間よ、君はたまたま指を切ってしまったとき、自分の血を味わったことはないか?なんてうまいんだ、そうだろう?


『マルドロールの歌』より

ヘルシング』が完結した(帯によると世界累計400万部突破)。
そうか!「アーカード」を倒す唯一の方法はこれだったのか!(感心した)。
大尉の強さに、シュレディンガー准尉の存在を忘れていた。

もはや彼(アーカード)は、ただの虚数のかたまりだ。


ヘルシング』第十巻 少佐のセリフより

HELLSING 10 (ヤングキングコミックス)

HELLSING 10 (ヤングキングコミックス)


自分はこれまで「ブラム・ストーカー」の『ドラキュラ』を読んだことがなかった、というより”今更吸血鬼なんて!”と、敬遠していたのだが、今回初めて読んでみた。「平井呈一」氏の業績にはお世話になり、尊敬もしているが、今回はこの本で。

ドラキュラ

ドラキュラ

詳細な注釈が(本末転倒だが)、実に興味深く、また作品もこういう日記形式になっているとはまるで知らなかったので新鮮で、楽しく読めた。
ついでに、”ドラキュラ”関連の本を幾つか読んだが、以下”吸血鬼の発祥&伝承&ヴァリエーション”には触れない。
もう百年以上も前に書かれた「ブラム・ストーカー」の”ドラキュラ像”が底本となり、数多の変遷を経て、そして映画の発展を背景に現在まで続いているということで十分だろう。

ここで、ひとつ書いておきたいのだが、『ヘルシング』という漫画は、いまだに制作されている凡百の映画とは比較出来ない出来の良さだということ(映画の「ヴァン・ヘルシング」の駄作ぶりにはまいった、”H.ジャックマン”は好きだけど)。

ヘルシング』の主人公の「アーカード」は、まさに不死の強さを全面に押し出して描かれているので、大蒜どころか、首を切り落とされても死なない。”ドラキュラ=不死”ならこうでなくてはならない。
と、ここまで本作を未読の方のために”ネタばれ”しないように気をつかい書いてきたが、漫画を語るとは”小説を語る”こと以上に矛盾した行為なので、『ヘルシング』についてはここまで。代わりにYoutubeを紹介して一区切り。
(よければ自分の記事も↓
傑作吸血鬼漫画ー『ヘルシング』 - FeliscutusverX,the CHATTER)




ここから少し視点を変えて、ドラキュラをみてみたい。

ロートレアモンの『マルドロールの歌』以来、シュールレアリストにとって吸血鬼の表象は一種強迫観念となったかの観がある。ブルトンは「ノスフェラチュ・タイ」なるネクタイのオブジェまで発明しているし、『ナジャ』のなかでも吸血鬼の表象が重要な役割を演じていることは言うまでもない。


『ドラキュラ・ドラキュラ』種村季弘編の後書きより抜粋

知らなかった。自分の無知を恥じ入るが、ここでシュールレアリズムにまで立ち入っている余裕はない。
ただ、冒頭に引用した『マルドロールの歌』と同性愛に関して少しだけ引用しておくに留める。

少年よ、許してくれ。ひとたびこの束の間の生を逃れたら、ぼくたちは永遠に絡み合っていようではないか。一心同体となり、ぼくの口を君の口に押しつけて。そうしたところで、ぼくの罰は完全ではないだろう。となれば、君がぼくを引き裂くがいい。けっしてやめたりせずに、歯と爪を同時に使って。この贖罪の儀式のために、ぼくは自分の体をかぐわしい花輪で飾るとしよう。そしてぼくたちは二人とも苦しむのだ、ぼくは引き裂かれることで、君はぼくを引き裂くことで・・・・・・ぼくの口を君の口に押しつけて。



『マルドロールの歌』より

なにやら、少年愛の世界になったが、ここには注釈がある。

接吻による少年との合体欲望の表白は、あまりにも露骨な同性愛的構図を作品に導入する。じっさい、やがて呼びかけの中に現れる「金髪のいともやさしい眼をした少年」が、タルブにおけるイジドール・デュカスの年少の友人であったジョルジュ・ダゼットにほかならず、デュカスが彼にたいして(一方的なものであったにせよ)同性愛的感情を抱いていたにちがいないという連想は自動的に働くが、この推測が実証的なレベルで妥当性をもちうるか否かを問うことにあまり意味はない。

まったくもって適切な解説だと思う。

ロートレアモン全集 全一巻

ロートレアモン全集 全一巻






さて、普段”ゲイの作家だって普通に存在する!”と言ってきたが、吸血鬼小説に並々ならぬ熱愛をもつ作家がいる。「ポピー・Z・ブライト」だ。果たして、同性愛と吸血鬼に何の関係があるのだろうか?

ホラー映画全般、吸血鬼映画は特にそういう心理を描く。そう、セックスは怖いもの、セックスは危険なものだと言っている。いますぐにここでそれを証明することもできる。

by「スティーヴン・キング」『クライヴ・バーカーのホラー大全』より

クライヴ・バーカーのホラー大全

クライヴ・バーカーのホラー大全

根本的に、吸血鬼は同性or異性に限らず、性には無関心。ただ、フィクションの中では「禁忌」としての意味合いで共通する部分をもつ。

私は女の身体を持つゲイの男

by「ポピー・Z・ブライト」『クライヴ・バーカーのホラー大全』より

彼女については、次を参照して下さい。
Poppy Z. Brite - Wikipedia
{ P.z.B }
実はこの人の作品が一点だけ邦訳されている。とても”ゲイ・ティスト”に満ちた吸血鬼&同性愛の小説だ。

ロスト・ソウルズ (角川ホラー文庫)

ロスト・ソウルズ (角川ホラー文庫)

*1
文庫版の見開きに魅力的な写真があり、この小説の内容を暗示しているのでUP。
彼女はこう言う。

吸血鬼はあらゆる意味で破壊的な生きもの。そこが魅力的なのだと思う。道徳家が、セックスは悪いことだと”証明”するためにセックスは危険だという事実を引き合いに出す時代に、セックスはいつだって危険だったことを吸血鬼は教えている。
吸血鬼は、セックスや夜や邪悪な空想の魅力を全部持っている。苦痛と背中合わせの冒険、タブーを破る興奮、吸血鬼の人気は永遠に衰えない。それだけでなく、架空の生きもので役割モデルになったのは吸血鬼だけ。

by「ポピー・Z・ブライト」『クライヴ・バーカーのホラー大全』より

以上、強引に”吸血鬼”と同性愛を結びつけた内容になった。

最後に、『ヘルシング』と同様に、日本が生んだ素晴らしい吸血鬼作品を引用しておこう。

その夜、彼は腕の中に黒猫を抱いて部屋に現れたが、黒猫は床に降ろされると、たちまち走り去って消え失せた。
「君の頸筋に触らせて欲しいんだ」
彼はさすがに顔を引き緊めてその頼み事をした。
「頸筋ですか、咽喉じゃなくて?」
「ああ」
「いいですよ。だけどその前に教えて下さい。どうしてこんな手間のかかることをしたのか」
青年は幾枚かの紙片を出した。そこには美しいペン字で、そもそもの初めから彼の喋った事柄が順に書きつけられていた。
悪魔・血の供養・失われた大陸・夭折・麻薬・自白剤・植物毒・変光星・洞窟絵画・暗号・馬の首星雲・・・・・・
「初めて気づいたとき、これを結ぶ糸は”時間”かななんて思ったんです。それから生贄の話をしたときは”血”じゃないかとも思った。それはむしろ当たっていたけど、ばかばかしく単純なことを何だって順番に・・・・・・」
「だけどフェアにはやった筈だよ」


『影の狩人』by中井英夫より

参考とした本を列挙し、「フランシス・コッポラ」の「ドラキュラ」と「インタビュー・ウィズ・バンパイア」を紹介して終わる。
特に後者の原作者の「アン・ライス」氏は”吸血鬼小説”を書きまくっている興味深い人物だ。
(参照:アン・ライス - Wikipedia)

吸血鬼 (書物の王国)

吸血鬼 (書物の王国)

吸血鬼の事典

吸血鬼の事典

ドラキュラ100年の幻想

ドラキュラ100年の幻想

*2



P.S.まだまだ”吸血鬼”、特に様々な短編を紹介したかった。
ひとつ言えることは吸血鬼映画は、まだ死なないということ。

*1:翻訳があの「柿沼瑛子」氏だから、想像つくでしょう?

*2:上記三冊の本に”吸血鬼に関する疑問”で書きたかったことが言い尽くされているので、この自分の文章では省きました。