詩人『吉岡実』!
国内の詩人で、いまだに好きなのは『吉岡実』。詩について述べるは容易ではないので、ここでは彼の詩をそのまま幾つか紹介しよう。
1
四人の僧侶
庭園をそぞろ歩き
ときに黒い布を巻きあげる
棒の形
憎しみもなしに
若い女を叩く
こうもりが叫ぶまで
一人は食事をつくる
一人は罪人を探しにゆく
一人は自涜
一人は女に殺される2
四人の僧侶
めいめいの務めにはげむ
聖人形をおろし
磔に牝牛を掲げ
一人が一人の頭髪を剃り
死んだ一人が祈祷し
他の一人が棺をつくるとき
深夜の人里から押しよせる分娩の洪水
四人がいっせいに立ちあがる
不具の四つのアンブレラ
美しい壁と天井張り
そこに穴があらわれ
雨がふりだす3
四人の僧侶
夕べの食卓につく
手のながい一人がフォークを配る
いぼのある一人の手が酒を注ぐ
他の二人は手を見せず
今日の猫と
未来の女にさわりながら
同時に両方のボデーを具えた
毛深い像を二人の手が造り上げる
肉は骨を緊めるもの
肉は血に晒されるもの
二人は飽食のため肥り
二人は創造のためやせほそり4
四人の僧侶
朝の苦行に出かける
一人は森へ鳥の姿でかりうどを迎えにゆく
一人は川へ魚の姿で女中の股をのぞきにゆく
一人は街から馬の姿で殺戮の器具を積んでくる
一人は死んでいるので鐘をうつ
四人一緒にかつて哄笑しない5
四人の僧侶
畑で種子を播く
中の一人が誤って
子供の臀に蕪を供える
驚愕した陶器の顔の母親の口が
赭い泥の太陽を沈めた
非常に高いブランコに乗り
三人が合唱している
死んだ一人は
巣のからすの深い咽喉の中で声を出す6
四人の僧侶
井戸のまわりにかがむ
洗濯物は山羊の陰嚢
洗いきれぬ月経帯
三人がかりでしぼりだす
気球の大きさのシーツ
死んだ一人がかついで干しにゆく
雨のなかの塔の上に7
四人の僧侶
一人は寺院の由来と四人の来歴を書く
一人は世界の花の女王達の生活を書く
一人は猿と斧と戦車の歴史を書く
一人は死んでいるので
他の者にかくれて
三人の記録をつぎつぎに焚く8
四人の僧侶
一人は枯木の地に千人のかくし児を産んだ
一人は塩と月のない海に千人のかくし児を死なせた
一人は蛇とぶどうの絡まる秤の上で
死せる者千人の足生ける者千人の眼の衡量の等しいのに驚く
一人は死んでいてなお病気
石塀の向うで咳をする9
四人の僧侶
固い胸当のとりでを出る
生涯収穫がないので
世界より一段高い所で
首をつり共に嗤う
されば
四人の骨は冬の木の太さのまま
縄のきれる時代まで死んでいる
『僧侶』吉岡実
『僧侶』はH氏賞を受賞したが、その当時の世評は、「吉岡実の『僧侶』は、昭和三十三年に刊行され、三十四年度の賞を授与された詩集である。難解さという点では、谷川雁と比較される吉岡が、このような賞を受けたことは、昨年度の詩壇にとって一つの異変であったと言ってよい。/しかし、怪奇で猥褻で醜悪で、二十世紀のスキャンダルのすべてを含むといわれるそのユニークなイメージは、読者の想像力への一種の挑戦として、強い好奇の眼で迎えられた。方法としては、風土化されたシュールレアリスムの趣きを持っている」
彼の詩論はいかなるものだったか?それは彼の作品「わたしの作詩法?」で述べられている。
わたしに作詩法といえるものが果たしてあるだろうか、甚だ疑問だと思っている。いかなる意図と方法をもって詩作を試みたらよいのか、いまだによくわからない。それに、わたしは今日に至るまで、自己の詩の発想からその形成に至る過程を、反省し深く検討したり、また自解的なものを書いたこともないのだ。
(中略)
或る人は、わたしの詩を絵画性がある、又は彫刻的であるという。それでわたしはよいと思う。もともとわたしは彫刻家への夢があったから、造形への願望はつよいのである。詩は感情の吐露、自然への同化に向かって、水が低きにつくように、ながれてはならないのである。
(略)
だから形態は単純に見えても、多岐な時間の回路を持つ内部構成が必然的に要求される。能動的に連繋させながら、予知できぬ断絶をくりかえす複雑さが表面張力をつくる。だからわたしたちはピカソの女の顔のように、あらゆるものを同時に見る複眼をもつことが必要だ。中心とはまさに一点だけれど、いくつもの支点をつくり複数の中心を移動させて、詩の増殖と回転を計るのだ。暗示・暗示、ぼやけた光源から美しい影が投射されて、小宇宙が拡がる。『わたしの作詩法?』吉岡実
彼の詩をまた、個人的に抜粋させてもらう。
消えたランプの発端から終焉までを告発する
発生する癌の戦争
大砲の車輪のひと廻りする時
無意味に穴のふさがる時
多くの人類の死・猿にならねばならぬ無声の死
下等な両生類の噛み合う快感の低い姿勢
横たわる死・だんじて横たわる死
古代の野外円形劇場の太陽の下の醜悪な消却作業
一人だけの少年は哭きわめく
粥状の物質の世界で
コップの嵐のなかで
まさに逆さまだ
『果物の終り』吉岡実より抜粋
インタビューではこうもいっている。「詩は特定の人のものだ。自分のため、自分を支えるために書く」と。
自分の印象も述べよう。彼の詩は点的、一回的感覚であり、作品の中では物も事件も点的に継起し、それが独自の音楽を紡ぎ出していく。その音楽とは、一行一行は俳句のようでありながら、それが連続し積み重ねられることによって一種の戦慄的で、かつ諧謔性を帯びたものとなる。意味よりは音楽が彼の詩を決めているのではないか?
しかし現実の彼の著作研究を読むと、彼が音楽を嫌っていた節がみられる。
吉岡実はほとんど音楽を聴かなかったようだ(事実、吉岡の随想には音楽の話題がきわめて少ない)。陽子夫人によれば、誰かがウォークマンを聴かせようとしたところ、すぐにイヤフォンを外してしまったそうだ。曲を聴くのがいやだったのか、耳の穴に異物を入れるのがいやだったのかは定かでないが。
彼が興味を持った外国作家はベケット、J.ジョイス、ナボコフ、アラビアンナイト、オクタビオ・パス!等と国内の翻訳事情もあっただろうが、詩人への言及や関係性は少ない。
国内作家に関しては、幅広く付き合いがあったようだ。
澁澤龍彦の交友関係にも、吉岡実が含まれている。
土方巽は舞踏家、加藤郁乎は俳人兼詩人、池田満寿夫は画家、富岡多恵子は詩人、堂本正樹は演出家、松山俊太郎はインド学者、加納光於は画家、野中ユリも画家、白石かずこは詩人。そしてこの曲者ぞろいの客たちを、静かに歓待する[、、、、、、、]という絶妙な役をこなした奥さんの矢川澄子は、秀才のドイツ文学者だった。総称するのに、さしあたってアーチストしか思いつかない。
この人たちに、やがてドイツ文学の種村季弘、フランス文学の巖谷國士、人形作家四谷シモン、画家金子國義、詩人高橋睦郎、同じく詩人吉岡実、俳優兼演出家唐十郎らが加わる。交際は長いが、やや別格なのが現代思潮社の石井恭二、アートディレクターの堀内誠一だ。
出口裕弘《澁澤龍彦の手紙》(朝日新聞社、1997年6月1日)より
澁澤龍彦との関係は、特に親密であったようである。
澁澤は吉岡さんの詩を高く評価していて、吉岡さんのほうが年齢は上だったのですが、その関係は親しい気心の知れた友人という感じでした」
《澁澤龍彦との日々》白水社
また、金井美恵子によれば「澁澤龍彦夫妻と何年か前四谷シモンの人形展で一緒になった時、本気で真面目に今のところ、おれは澁澤氏を一番気に入っているからね、と言い、澁澤龍彦が、今のところかあ、と大笑いした」との文章もある。
さて、まだまだ触れてないことが無数にあるのだが(画家クトーとの関係等)、それらは、この記事で『吉岡実』に興味を抱いた人に、紐解いて欲しい。
最後に、長いが貴重な映像をと思ったが、規約違反で[YouTube - /\/\/\/\/My fav澁澤龍彦●土方巽●tatsuhiko shibusawa/tatsumi hijikata:title]はみることが出来ない。(個人的に残念だ!)そこでは、澁澤とともに吉岡がわずかながら登場する(全長3分26秒の〈YouTube〉版では、2分24秒過ぎからの数秒間)。「テレビ嫌いだった澁澤さんの貴重な映像です」とナレーションがかぶさるが、そのビデオはまた、一度もテレビに出演しなかった吉岡実をとらえたおそらくは唯一の映像であったらしい。
自分の映像を見られることを、恐らくもう故人ものぞんでいないだろうから諦めた。(故人はそんなYoutube等嫌っただろうし)。みなくても、全ては「作品にある」との理解が正しいのだろう。
最後にこの記事を書くのに、そして『吉岡実』の詳細なサイトとして《〈吉岡実〉を語る(小林一郎 編)》http://members.jcom.home.ne.jp/ikoba/YMkataru.html#Anchor-35426が大変興味深く、かつこれ以上はない充実度を保っているので、感謝を兼ねてお礼をいいたい。