解釈不要の「ツィゴイネルワイゼン」

自分の子供の頃はもっと自由に映画について勝手にあれこれしゃべっていたと思う。『去年マリエンバードで』をみて「うーん訳が分からん」とか『ブレードランナー』をみて「凄い!傑作だ!」とか。
それがいつの頃からか、映画をみる際に自由に個人が語ることが出来なくなったような気がする。その理由は映画評論家による言葉が、映画の見方にまで少し影響を持ち過ぎはじめたからだ。映画にだけはいまだにクリティックが機能している。ようするに、他のジャンルではもう評論家など何の影響力もないのに、映画にだけはあるのだ。

文芸評論家には、もう評論家らしき人はほぼいない?し、美術評論家はもっといない。美術評論家が「あの展示会はいい!」といっても、誰一人その美術展に行きはしない。が、多数?の映画評論家達が「この映画は絶対お奨めです!」などというと、かなりの影響力を発揮し、観客動員数は増える。
映画評論家頼りに、映画をみて、それを自分自身で咀嚼出来ずに「ハスミる」*1ようなら、もうクラシック現象であり、同時に提供するサイドによるある段階でのセレクションが一種の権力行為として働いているのでは?
映画が自分の目でみられなくなってきているとしたら、TVネイティヴ世代へと時代は変化しているし、動画サイトの急速な浸透もある。古き良き銀幕は衰退し、「映画館の消滅」は確実に進行中といえる。


(前後削除しました)。


さて、映画評論についての駄文はここで終えて、『ツィゴイネルワイゼン』に移ろう。

もう、この作品について述べることは何もない。(万が一知らない人はツィゴイネルワイゼン (映画) - Wikipediaをチラ見してね)あるとすれば、原作者の他作品、「冥途」・「東京日記」等をもし未読なら読んで欲しい。それだけだ。
冥途―内田百けん集成〈3〉   ちくま文庫

冥途―内田百けん集成〈3〉 ちくま文庫

ツィゴイネルワイゼン』の動画をUPしようと思ったが、無い。代わりに全然ヒットしなかった?『ピストル・オペラ』(これはみてない人がいると思うのでピストルオペラ - Wikipediaを参照のこと)の動画をUPする。

さて、結局「映画について語るとはどういうことか?」について何も解決していない記事となってしまった。原因は自分が古き「銀幕愛好家世代」ではないこと(ヴィデオ&DVD世代です)、及び「蓮實重彦」の映画関連著作を一冊も読んでいないことに依る。(蓮實氏の「陥没地帯」は読んだが)

最後に、

「あなたにとって映画とは何ですか?」

*1:蓮實重彦のように映画を語る行為をこう呼ぶらしい