『平田俊子』詩集を読んで−掃除の間の読書
平田俊子の詩集が出てきた。読み返して時間を潰す。
詩は引用に適していると思う、ので冒頭の代表作「ラッキョウの恩返し」から。
「ラッキョウは苦手なんです」「そうかい 僕は好きだよ」
こんなたわいない会話を誰かが聞いていたのだろうか
次の日からラッキョウに悩まされることになった。
パック入りのラッキョウ漬を新聞の勧誘員が持参しクリーニング屋の開店五周年記念でいただき 隣に越してきた人が御挨拶として持ってきた
さらにバケツ一杯のラッキョウをひっさげて汗をふきふき現れた男がいる 「昔お父さまにお世話になった者です」と言ってその日から毎日バケツ一杯持ってきた
(中略)
そういう事ならと肚を決め ハチマキをしめてラッキョウラッキョウと売り歩くが買ってくれる人はない 型に入れ凍らせてアイスキャンデーのようにすると女の子が数人寄ってきたが 母親どもがかなきり声でよび戻した その顔めがけてラッキョウをひとつかみ投げつけると 追っかけてきて その三倍ほどを私に浴びせた
乳鉢ですり メリケン粉と芥子をまぜて丸薬をつくり 一人暮らしの老人たちに万病にきくと配って歩くと 数日たっておかげさまで元気になりましたとバケツ十杯のラッキョウを持ってきた
寝たきり老人の家へ行き ぽっくりいかせる薬ですと嫁に渡すと 翌日晴れ晴れとバケツ二十杯持ってきた
この作品で、現代詩新人賞の第一回受賞者となった「平田俊子」さん。
棺桶のような部屋に住んでいる
花は一本もないが
ブラックホールがひとつある
どうです すてきでしょう
ここで死んだら
埃のように吸いこまれ
遠いところへ行けるんですよ
そうじの科学 詩集<ラッキョウの恩返し>より
掃除の合間に丁度良い詩だ。
封を切っておどろいた
髪の毛がまじっている
まじっているどころではない
わかめ全部が髪の毛なのだ
裏を返すと
日本海溝産とある
あの店ではもう買うまい
わかめ 詩集<ラッキョウの恩返し>より
この「わかめ」という作品は、中井英夫氏が病床で読むのは辛いと評した詩だ。
鳩時計から 首のない鳩が
飛び出してすぐ逃げていく
おまえなど 誰がこれ以上
相手にするものか季節が何度もかわり
訪れる人の 絶えて久しい部屋
惨劇のあとの血が
絨毯に黒く花を咲かせる
あの男は沼に沈めてやった・・・
あの血は三人のうち
誰のだったろう・・・
血を洗う 詩集<ラッキョウの恩返し>より
こうしてみると、妄想と諧謔が奇妙にドライな表現として、不思議な魅力に富んだ作品となっている。
詩集には、他の作品も載っているが、自分が最初に読んだこの「ラッキョウの恩返し」がやはり印象深い。
散文とか、随筆風の文章では、この作者の私生活も垣間見ることが出来る。が、そこには触れずに、ただただ楽しめるのが、この「平田俊子」という詩人の希有さであり、平易な詩で自称詩人と称する人達の手から現代詩を奪還したのが「平田俊子」という人物だ。
この本の最後の方に富岡多恵子の評があり、的を唯一得ていると思われるので引用する。
数年前平田さんの「(お)もろい夫婦」という詩集を読んだ時、これはオモロイ詩集だと思ったのだが、そのオモロサは、詩のおもしろさとはちょっとちがうという感じもした。たしかに、詩のかたちでしか出現しない、散文で叙述、或いは説明すれば消えてしまう感覚の時間空間をつかんで読む者を楽しませる。しかし、詩にしてはおもしろすぎて、ビールの広告ではないが、キレがよすぎるのである。
私生活には触れないと書いたが、友人の書いた文章からは、この面白い詩人の孤独な生が読み取れる。
そんな文章を読んでは、詩人とはやはり孤独な代償をなくしては存在しえないのかと、ふとやるせなさを感じた。
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